本当に教養があった方がいいのか
2026/4/27
教養って社交のためのドレスみたいなもので、人と関わらないで生きてる人にとっては意味のないものなんかなあ
教養は我々が見る世界を貧しくする
教養や知識が増えると、何かを見たときに、「ああ、これはあの概念で説明できるな」と思える。それは世界の解像度を上げることだ、と考える人もいるが、実はそれは自分が感じた生(なま)の現実そのものの複雑な感動を、既存の知識に押し込めて、矮小化してしまうことではないか?知識がない方が、この雄大な自然界を、驚きを持って見ることができるのではないか?そのことは、子供の目に映る世界が日々驚きに満ちていることからもわかる。大人になるにつれ知識が増え、慣れてしまうのだ。教養は物事をカテゴライズし、言語に落とし込む。それは物事を効率的に理解するための「便利」な道具ではあるが、我々が見る世界を豊かにするのではなく、むしろ貧しくしているのではないか?
教養は進歩ではなく変化をもたらす
「教養がある方が見える世界が豊かになる」と無邪気に言えるほど事態は単純ではない。教養がなければ見えない景色もあるが、教養があると見えない景色もある。教養を身につけることは道を歩いていくのに似ている。先へ進まねば新しい景色は見えないが、先へ進むと今まで見えていた景色は見えなくなる。重要なのは歩いていく過程を続けることであって、後ろにいる人より先へ行っている人の方が豊かだとか、楽しいとかいうことはない。同じ景色ばかり見ていては飽きてしまうから、人は勉強しなければならない。しかし勉強して教養を身につけることは進化と同じで、変化であっても進歩とか向上ではない。どの位置にいる人にとっても同じように世界は豊かだし、人生は楽しい。ただ前に進むことが必要なのだ。