戻る nyaw.net

無為自然と教養主義

2026/04/06

たまに荘子的な無為自然の境地に至ることがある。心が静かで落ち着いていて、大体のことはどうでもいいと思える。自己が消失し、幸せで、満たされていて、いつ死んでもいいと思える。目に映るものを全てそのまま楽しむ観照的(アーレントの思想による)な状態ともいえる。自由で、このまま何にも束縛されず、暇なまま孤独に生きていたいと思える。家にいて何もしていない時、たとえば適当にツイッターのタイムラインを眺めているとき、心身が整っていて健康なら、そういう無為の状態に入ることができる場合がある。この時に、何か重要な文章を読んだり、何か書いたりしようとしてしまうと、この静謐な精神状態が壊れて、また世俗的な状態に埋没してしまう。

それに対し、そうではない普段の状態は、主に、教養主義的な状態。教養を得るために日々本を読み、勉強をする。漫画やアニメを見て、音楽を聴く。文化を吸収する。哲学をしたり文章を書いたりもする。そして趣味をやったり、人と楽しく話したりすることを目標にしている、そういう活動的な状態。これは、自分を高めねばならない、今と違う自分にならねばならないという、一種の強迫観念をもとにしている。しかしこれがなければ、人は成長できない。

暇(要編集?)

本を読んだりアニメを見たりしていると暇がなくなってしまう。毎日退屈だと今まで全く予想もしなかったような新しいことを始めたりできるのだが、暇がないとそういうことができなくなってしまう。日々が予定調和で過ぎていってしまうのだ。

めちゃくちゃ楽しい人生って無理なのだろうか。めちゃくちゃ楽しいことをやってても、だんだん楽しさに慣れてきてそこそこ楽しい程度になってくるから、めちゃくちゃ楽しい状態を維持するには、新しいことをやり続けなきゃいけない……。