理想
閑散と豊かさ
私には憧れる2つの精神があります。「閑散」と「豊かさ」です。以下がそれぞれの関連するイメージです。
「閑散」 退屈、暇、大学生のボロアパート一人暮らし、六畳間、哲学書、文学、散歩、秋の夕方、侘び寂び、禅、仏教、区立図書館、湖畔の散歩、木立、質素な食事、カップラーメン、同人ゲーム、個人サイト、夏目漱石、荘子、シスレー、古い漫画、らき☆すた
「豊かさ」 暖かい家、家族、絵画、美術館、世界史、レストラン、物語、児童文学、ファンタジー、不思議の国のアリス、J.R.R.トールキン、ゲーテ、竹本泉、SF、ミステリー、語学、映画、大英帝国、ヴィクトリア朝イギリス、クラシック音楽、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、小説執筆、古典文学、キリスト教、ワイン、ギリシャ神話
どちらを追い求めるべきか迷っています。いえ、どちらも目指せばいいのかもしれませんけれど。
どちらか片方だと面白みが足りない。二つ合わさることによって魅力的な人格が醸成される。
この二つが交差するところに、ゲーテやニーチェや夏目漱石がいる。(豊かな古典の知識と内的な思考を併せ持つ)
どちらか片方だと、整ってはいるけど面白くない。二つを合わせると、対極にあるものを合わせることになるから歪で滑稽なものが出来上がるが、その歪さ、拙さが面白い人格を作る。
大学生の夏休み
ボロアパート一人暮らしの文系大学生の暇な夏休みみたいな、そういうのに憧れるワケ。つまり、若さと有り余る時間。それが私の欲しいもの。
若さと有り余る時間、持ってるじゃん。持ってる……はず、なんだけど、なんか違うよ。なんか、暇じゃないんだよ。やることが多いんだよ。ニートなのに。こんなはずじゃなかった。
大学生の夏休み、一日中暇で、昼に起きて友達とだらだらゲームして、何度も読んだ漫画をまた読んで、聞き飽きた音楽を聴いて、ラーメン茹でて食べて、夕方近所を散歩して、風呂に入って寝る、みたいな、そういう青春が送りたいんだよ。そういうのってなんか、自由じゃん。いいじゃん、そういうの。
無為。無為に憧れるんだよ。すべきことが何もなくて、やろうと思えば何でもできるはずで、でも毎日退屈で、でも不幸じゃなくて、変わり映えのない日常が続いていく。そういう無為な暮らしがしたい。 せこせこしてるのが嫌で、その逆、大らかな生き方がしたいんだ。 インターネットがあるせいで、せこせこしちゃうんかな……。
インターネット時代、面白い情報が無限にあるから、暇な時間がなくなって、退屈を感じる余裕がなくなってしまうんかな。のんびりと季節の移ろいを感じて、俳句でも詠んじゃうくらいの心の余裕を持ちたいよ
人生が有限であることを思うと、時間を無駄にしたくない気持ちが鎌首をもたげてきて、焦ってしまうし、一日何もしないと後悔してしまう。そう、この「時間を無駄にしたくない」気持ちが曲者。これのせいで人はせこせこして余裕がなくなってしまう。これを倒さねばならない。
どうやって倒すんだ…… 将来の幸福のために生きていても、その将来はいつまでも来ない。幸福を先送りにし続けて、ついに死んでしまうだけだ。幸福になりたければ、今を幸福にするしかない。 と、そう思う。そう思うのでつが……。 とりあえず、クールアニメを追うのは今期でやめにしようかな……。名作を見るのに時間を使いたいし、ツイッターでみんなの感想聞きながらわいわい見るのも楽しいけど、私に本当に合ったスタイルはそういうのではない気がしてきた。
けいおん!
けいおん!のような日常に憧れる。上を目指すとか努力するとかいうことと無縁の、ただみんなと過ごすかけがえのない時間。
しかしそんな日常を送れるのも、必死に練習しなくてもライブを成功させられる唯の才能や、他のみんなの今までの努力の積み上げや、ギターやお菓子や合宿の別荘を用意してくれるむぎの財力のおかげなので、見えないところに競争と勝利が必要とされている……。
湖畔の散歩
理想の人間関係って、静かな湖畔の林の中を、友人と二人、文学や哲学について語り合いながら歩く……みたいな感じだ
論証するための言葉とか、表現するための言葉とか、主張するための言葉とか、色々な言葉の使い方があるけど、私は、楽しくなるための言葉を使いたい。発話した本人と受け取った人が両方楽しくなるような言葉。
出典:Twitter(https://twilog.togetter.com/teiwv/date-260216)
人間は「ここではない理想の世界」を求めてしまう
人間は「ここではない理想の世界」を求めてしまうものなのかもしれない。プラトンのイデア論やキリスト教の天国もそうだ。私が日常系や、湖畔の散歩や、大学生の夏休みに憧れてしまうのもそれと同じだ。そういう憧れは努力の動機であり、日々を耐えるための希望だ。しかしニーチェはそれを批判した。ニーチェの思想は生の肯定だ。人生は苦しいが、それでも人生を肯定せよとニーチェは言った。「ここではない理想のどこかではなく、今、生きているこの世界を肯定すること。」これが真に強くある者の倫理なのかもしれない。
現代の科学的世界観に則って、死後の世界は無い、死んだら無になると考えていても、人はどうしても死後の世界に類するもの、将来行くべき理想郷、ここではないどこかを求めてしまうんだな。